おはようございます。福来です。
昨夜は中秋の名月楽しみましたか^^
夜雲との調和が雅で素敵でしたね゜・*:
さて、今日はちょっぴり哲学&心理学のお話。
「自我」を辞書で調べると、自分、自己などと出てきます。
哲学的な意味での「自我」を調べると、デルフォイ、ソクラテス、デカルトなどのそうそうたる面々の名が連なり、長~い解説がどこまでも続きます。
ちょっと、読み切れません(笑)
メンタルケアカウンセラーの資格のために勉強している時には、「自我」についてはとってもシンプルな解説でした。
「自我=調整係」。
人間には本能に従って快楽を求める部分と、論理的に考えてそれを抑制する部分がある。
快楽ばかり求めていては社会に適応できない。
抑制してばかりでも社会には適応できない。
両者を調整して、社会に上手に適応させるのが「自我」なのだそうです。(フロイトの構造論より)そして「自我」の確立に必要不可欠なのは、「自己同一性の獲得」だと思います。
簡単に言えば、自分が「真に」求めていることをちゃんと知ることです。
環境や偏見的教育で、人は案外真の自分を見失っているものです。
本当は在りたくない場所で在り、本当は着たくない服を着て、本当は付き合いたくない人と付き合う…社会生活のためには、ある程度の抑制は必要ですが、「真の自分」がなにを求めているのか分かってくれば、さまざまな選択肢をふるいにかけられます。
今は風の時代。
繋がりたいものと自由に繋がることができる時代です。
そして、これからは、「何と繋がらないか」も、大切になってくるのではないでしょうか。
人生はまだまだ続きます。
「自己同一性」=「違和感のない自分」
それを探究することをやめないでくださいね。
そして「自我」を確立し、社会と上手にお付き合いして、昨日より今日の自分を少し幸せにしてあげながら、人生という長い旅路をゆっくり楽しんでくださいませ^^
福来 香
追伸:せっかく資料を読んだので、哲学達人たちの名言を引用しておきます。
デルフォイ:汝自身を知れ。
ソクラテス:無知の知。徳とは心の秩序。
デカルト:我思う故に我あり。
余談ですが、ソクラテスは、シビレエイの異名をもっていたそうです。
ソクラテスの言葉を聞くと、どんな美女も美少年も、エイに刺されたようにシビれてしまうんで、そんなあだ名がついたんですって(笑)